パブリシティの権利の法社会学的考察
日時 | 概要 |
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04月18日 木曜日 14:00 | 16:00 |
パブリシティの権利の観念は,アメリカのコモンロー上生成されたThe Right of Publisityを我が国に輸入したものである(阿部教授他の功績)。それは,まぎれもなく財産権であった。 その後我が国でもパブリシティの権利が判例法上認知されていくことになるのだが,当所は財産権としての理解が主流であるかの如くみえた。ところが,その後氏名・肖像権との概念的区別が整理されないまま肖像パブリシティ権なる用語が定着する一方で,いつの間にやら人格権利理解が判例の主流に浮上してきたようだ。 先般のピンクレディ事件の最判は,最高裁として初めてパブリシティ権を真正面から肯定したものだが,これによってこの権利は不動のものとして確立された一方で,この権利の法的性格や妥当領域について多くの課題を投げかけることとなった。 この最判は,パブリシティの権利がいかなるものかにつき興味深い視点を提供してくれているものの,最判の理由を検討する限り種々の概念が未整理のまま混在しており,問題は投げ出されたままのように思われる。 さて,それでは今後どうしたらよいかということだが,肝心なことは,徒らに観念論に走らず,概念法学の弊に陥らないことである。 私は,二十五年前音事協の顧問に就任したが,最初の仕事は「専属芸術家統一契約書」の見直しということだった。そこで,アーティストとプロダクションの機能・役割分担につき徹底的な実態調査・分析を行った。そして,専属契約の究極の目的は「アーティストのパブリシティ価値の形成・維持」にあるとの結論に至った。 その後音事協に加わった湯浅氏による「日米音楽・アーティストビジネスの比較研究」は,われわれの研究成果に磨きをかけた。つまり,日本型プロダクションの役割の本質をとことん追求していくなかで,アーティストのパブリシティ価値の本質がなんであるかを端的に把えることが出来た。 つまり,アーティストのパブリシティ価値とは,プロダクションとの協同作業によって生み出された商業的価値(財産的価値)」にほかならない。 翻って,我が国においてパブリシティの権利がどのような場面で論じられてきたかというに,それはキャラクターグッズなどの不正使用対策であり,いわば海賊版対策であった。そのため,パブリシティの権利は,あくまで「被害救済法」として発展せざるをえなかった。そこに差止請求の根拠として人格権に傾斜していくという流れが生まれた。 しかし,実はそこに重大な落とし穴があった。そのことを端的に明らかにしたのは,プロ野球選手会訴訟であった。ゲームメーカーのコナミは,パブリシティの権利の「正当な取引」をするためには誰と(どこと)契約すればよかったのか。この単純・素朴にして最も基本的な問いかけに,我が国のパブリシティ権理論は正面から答えることが出来なかった。 まともな「取引ルール」即ち正当な「パブリシティ権の許諾・権利処理ルール」があってこそ,初めて「パブリシティの権の取引市場」が成立する。また,そのような取引市場が存在するからこそ,「海賊版」対策が問題になるはずである。しかし,我が国の法学界において誰もこのことを真正面から論じた者はいない。まことに奇妙なことではないか。 「被害救済法から取引法へ」―これがパブリシティの権利について私の提起する命題である。この課題は観念的なものではなく,きわめて実践的なものである。この課題に真正面から取り組んでいけば,パブリシティの権利の本質はもちろん,その妥当領域もおのずと明らかになるのである。 |
講師紹介
錦織 淳(ニシコオリ アツシ)先生一般社団法人日本音楽事業者協会顧問
弁護士
開催概要
名称: | 『パブリシティの権利の法社会学的考察』 |
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日時: | ~ (13時30分より受付開始) |
会場: |
【現地会場】「蚕糸会館」
東京都千代田区有楽町1-9-4 蚕糸会館(さんしかいかん)6階 (JR有楽町駅 徒歩2分、東京メトロ日比谷線・千代田線・都営三田線「日比谷駅」 徒歩2分:丸の内警察署裏、ニッポン放送隣:地図参照) |