東京フィルハーモニー交響楽団創立100周年特別演奏会
―少年音楽隊から始まったアジア最古のオーケストラ―
IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士
2012年5月2日、サントリーホールで、東京フィルハーモニー交響楽団創立100周年特別演奏会と祝賀レセプションが開催された。
特別演奏会では、東京フィルハーモニー桂冠名誉指揮者チョン・ミョンフンによりドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」と150人編成によるラヴェル「ボレロ」が演奏された。このプログラム・ビルディングにチョン・ミョンフンとオーケストラの思いが託されており、その演奏は100年に亘る多くの演奏家たちの心が籠っているような名演奏であった。
東京フィルハーモニー交響楽団の年表をみると、起源は明治44年に誕生した名古屋のいとう呉服店(現大丸松坂屋)の「少年音楽隊」である。
大正2年早川弥左衛門の指導によりオーケストラ編成による練習が始まり、大正14には「松坂屋少年音楽隊」と改称し、同年開局した名古屋放送局(後のNHK)に出演するようになった。
昭和13年本拠を東京に移し、「中央交響楽団」と改称、昭和15年には常任指揮者にマンフレッド・グルリットを迎え、第一回定期演奏会を開催している。
昭和20年3月、東京大空襲で練習所が焼失し、楽器、楽譜のすべてを失った。同年9月、東京都により山田耕筰を団長とする「東京都フィルハーモニー管弦楽団」として演奏再開されるが、翌年解散となり、自主運営による「東京フィルハーモニー管弦楽団」として再出発。楽員の多くはアーニーパイル交響楽団にも参加する。
昭和23年4月、「東京フィルハーモニー交響楽団」と改称し、斉藤秀雄指揮で第一回定期演奏会を日比谷公会堂で開催した。同年11月、NHKと放送出演契約を締結した。NHKとの契約は現在も続いている。
昭和24年9月、上野宝ホテルに専用練習場を置いた。
昭和27年には「財団法人」として認可されている。
昭和30年ニコラ・ルッチが専任指揮者に就任。昭和34年アルベルト・レオーネが常任指揮者に就任している。
昭和36年大町陽一郎を常任指揮者に迎える。
昭和39年会計赤字が増大し、ついに12月、給与支払い不能となり、その後数か月無給状態が続く。
昭和41年9月、第100回定期演奏会開催。練習所を藤原歌劇研究所に移す。住友化学(株)社長大屋敦氏が会長・理事長に就任し、経営態勢の変革が始まる。
昭和46年練習所を港区の真福寺に移す。
昭和47年帝人(株)社長大屋晋三氏が会長・理事長に就任。
昭和48年文化庁の助成が始まる。アルジェオ・クワドリを名誉指揮者に迎える。10月、初の海外公演として大町陽一郎指揮で東南アジア演奏旅行を行う(4か国・7公演)
昭和49年尾高忠明を常任指揮者に迎える。
昭和53年日本育英会理事長村山松雄氏が理事長就任。第200回定期演奏会開催。
昭和57年ソニー(株)会長盛田昭夫氏が会長就任。
昭和58年日本育英会理事長三角哲生氏が理事長就任。
昭和59年尾高忠明と共に第1回ヨーロッパ公演を実施し、高い評価を得る。
昭和63年第300回定期演奏会開催。10月香港のアジア芸術祭出演。
平成元年東急文化村と日本初のフランチャイズ契約を結び、オーチャードホールで定期演奏会を開始する。
平成2年日本育英会理事長鈴木勲氏が理事長就任。
平成3年9月創立80周年を迎え、記念祝賀会を開催。
平成4年大野和士が常任指揮者に就任。
平成7年日本育英会理事長川村恒明氏が理事長就任。
平成8年新国立劇場レギュラーオーケストラとして、東京オペラシティに事務局、練習所を移す。
平成11年ソニー(株)会長大賀典雄氏が会長・理事長就任。
平成13年本格的な劇場演奏を可能にするため新星日本交響楽団と合併。チョン・ミョンフンがスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーに就任。
平成15年チョン・ミョンフン指揮でアジアツアーを実施。シンガポールと韓国を訪問。
平成16年軽井沢大賀ホールが完成し、軽井沢町と事業提携契約を締結。
平成17年第7回「上海国際芸術祭」にアジア代表として招待され、中国、韓国で7公演を行う。
平成22年ダン・エッティンガーが常任指揮者に就任。
平成23年楽団100周年を迎え、記念シリーズを開始。東日本大震災の影響により、3月に予定していた特別演奏会は中止となるが、4月から記念シリーズを再開。また同時に自主公演等で東日本大震災復興支援の募金、演奏活動を開始し、現在も継続。4月会長・理事長大賀典雄氏逝去。ソニー(株)取締役代表執行役副会長中鉢良治氏が会長就任。楽天(株)代表取締役兼社長三木谷浩史氏が理事長就任。
平成24年4月、公益社団法人東京フィルハーモニー交響楽団認定。
(東京フィルハーモニー交響楽団年表から)
年表で100年の歴史を見ると、百貨店少年音楽隊からスタートし、その少年たちが成長して日本のオーケストラ成立につながっていくドラマが読み取れる。
しかし、その歴史は決して平坦な道のりでなかったと推測される。とりわけ、戦争による大空襲で楽器も楽譜もすべてを失い、練習場探しをしながら音楽を求め続けた楽団員たちの苦難の日々が目に浮かぶ。また、年表には「会計赤字が増大し、ついに12月、給与支払い不能となり、その後数か月無給状態が続く」という記載もあり、年末に突如無給となり、安い給料(と思われる)さえも支払えなくなった楽団の苦しみはどんなであったかと思うと胸が痛む。
しかし、苦しい経営状態の中で、ひたすら音楽を求め、音楽を愛する経済人あるいは行政人の協力も得て窮状を切り開き100年の歴史を創ってきた楽団員と事務局の情熱と努力に心から敬意を表し、お腹の底から“ブラボー”と叫びたい。
祝賀レセプションでチョン・ミョンフンさんはこう挨拶した。
「わたくしは人間であり、そして音楽家であることを誇りに思っています。わたくしは作曲家たちの作品の配達人です。音楽は国境を越えます。アジアの中で、100年を超えるオーケストラはありません。100周年を迎えた東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)にハッピーバースデイを言います。
“ハッピーバースデイTPO、ブラボー”」
注1. 絵:バイオリン奏者菅原英洋さんが描いた昭和40年代の楽員たち(一部)(指揮大町陽一郎)
注2. 写真:創立100周年「響―永久の約束」記念切手
以上
棚野正士 wrote:
創立100周年「響 悠久の約束」を記念して、東フィルは100年後の主催公演への招待状を祝賀会参加者に配った。
「2111年シーズン 東京フィルハーモニー交響楽団主催公演招待状“未来からのご招待”」はまことに感動的なアイデアで心が和む。