「WIPO北京条約作成記念国際シンポジウム」開催される
―条約を待ち望んでいたダルマの両目が15年振りに開く―
IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士
2012年10月22日、丸の内・東京會舘で230人の参加者を得て、「WIPO北京条約作成記念国際シンポジウムー映像における実演家の権利を考えるー」が開催された。主催は芸団協・実演家著作隣接権センター(CPRA)、後援は文化庁、外務省、総務省、知的財産戦略本部。
シンポジウムはハーモニカ崎元譲、ピアノ美野春樹によるドボルザーク「新世界から」の記念演奏で始まった。名演奏の後、ジルケ・フォン・レヴィンスキー教授(マックスプランク研究所上席主任研究員、2000年及び2012年のWIPO外交会議ドイツ代表)、フランク・ゴッツェン教授(ベルギー・ルーヴァン・カトリック大学法学部教授、ブリュッセル大学総長を歴任)の講義の後、パネル・ディスカッションが斉藤博博士をモデレーターにして行われた。パネリストは俳優として山東昭子、内田勝正、映画監督佐々部清、芸能プロダクション社長木谷真規、主催者側藤原浩弁護士、事務局長増山周の皆さん。
北京条約は2012年6月北京で開催されたWIPO(世界知的所有権機関)外交会議で作成された。この条約について、WIPOプレスリリースは「歴史的条約、俳優の権利のドアを開く。」と述べている。
俳優など実演家の権利は1961年ローマ条約(実演家等保護条約=実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約)で規定され、第7条で実演家の権利が定められている。しかし、第19条では映画に固定された実演については、収録を承諾した時以降第7条実演家の権利は適用しないと規定されている。
以来この第19条は俳優の喉に刺さった魚の骨のように俳優を悩ませてきた。自分の実演が映画に収録されると、以後映画がどのように使われようと俳優は権利を主張できないからである。
ジュネーヴのWIPO図書館で1961年当時のぼろぼろの古い資料を見ると、第19条はアメリカの主張で規定されたと書かれている。アメリカは映画会社の力が強く、映画の流通を妨げる俳優の権利は法律上認めないからである。しかし、実質的には俳優の労働組合の労働協約によって利益を確保している。
1961年ローマ条約以来50年間、アメリカは映画について俳優の権利を認めてこなかったが、2009年位からアメリカ映画産業界に変化が生まれた。ゴッツェン教授は、世界規模のデジタル環境における海賊版との闘いには、国際的な取り組みが必要で、アメリカ映画産業は俳優に権利を認めた方が有利であるとして、従来の反対意見を放棄したからだと説明している。
外交会議の後、9月にトロントで開催されたFIA(国際俳優連合)総会では、アメリカの映画製作者の組織MPAAと俳優など16万人の組合員を擁する労働組合SAG-AFTRAが同席し、MPAAは労働組合に対して、もはや我々は敵ではないと述べたそうである。
今、地球規模のデジタル環境の中で、海賊版やネット上の権利侵害に対応するには、”もはや対立する時代ではない“という流れになっていると考える。
これは視聴覚実演の問題だけでなく、著作権法にかかわるあらゆる課題に言えるのではないだろうか。
なお、このシンポジウムでは、特別セレモニーとしてダルマが用意されており、条約成立記念の目入れが行われた。
このダルマは1997年に開催された芸団協の「映像における実演家の権利の早期確立を目指す国際シンポジウムーWIPO新条約の98年採択に向けてー」で用意されて、FIA(国際俳優連合)キャサリン・サンド事務局長が片目を入れ両目が開くのを待っていた。この15年間、ダルマの前には、「I want right of my audiovisual performances」「我要我的視聴表演之権利」と書かれた札が置かれていた(写真)
以上
棚野正士 wrote:
IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士
北京条約採択を伝えるWIPOプレス・リリースは「歴史的条約、俳優の権利のドアを開く」と述べている。1961年ローマ条約(実演家等保護条約)以来50年振りに俳優の権利のドアは開いた。
ローマ条約第7条は「実演家の権利」を定めているが、第19条で「映画に固定された実演は収録を承諾した時以降実演家の権利は適用しない」と規定している。この規定はアメリカの強い主張で生まれ、以来俳優の喉に引っかかった魚の小骨であった。
アメリカとEUの対立構造の中で、小骨を取ろうと国際社会は検討を重ねてきたが、その都度アメリカの主張に阻まれ小骨は取れず、俳優の権利のドアは閉じたままであった。
50年間閉じていたドアが開き、ようやく喉の小骨が取れたのはなぜか。これについてゴッツェン教授は「何がこの奇跡を引き起こしたか?」と問いかけ、世界規模のデジタル環境における海賊版との闘いには国際的枠組みが必要で、アメリカは反対意見を放棄したからだと説明した。また、増山事務局長は「2009年―2010年辺りに、アメリカ国内の映画業界に状況の変化が生じていた。海賊版の横行やネット上の権利侵害と闘うために実演家をも味方につける方が有利であることから、映画製作者らは、実演家への権利付与に柔軟な姿勢を見せ始めた。」(CPRA news 65、4ページ)と述べている。
“もはや対立の時代ではない。“
シンポジウムを終わってそのように思う。デジタル環境が進む中で、権利者と製作者が対立を超えて時代を切り開く状況を迎えたと感じる。このことは、著作権制度を巡る様々な場面で言えるのではないか。(「CPRA news 第66号(2012年12号)」)掲載