第二章―アジア源流「〝幻の河オクサスから世界は始まった〟という物語」 その7

大野遼のアジアの眼

NPOユーラシアンクラブ 会長 大野 遼

【光背を擁するミスラの山からたぎり落ちるアナーヒター】

―インドに潜む二つの地下水脈サラスヴァティ、ガンジスとインダスに寄り添う東西二流―

 仏教は、常に優勢な勢力、支配の表象として機能してきたが、その中で観音菩薩は、仏教的法界の万能の救世主として受け入れられ、支配層から庶民にいたるまでその心を掴んできた。奈良仏教界のキーパースンとなった義淵にも弟子の良弁にも、「観音菩薩に祈願して授かった子」の伝説がついてまわり、光明皇后が法華寺を造寺し、全国に法華尼寺を設置した宗教的軸には法華経の観音菩薩が有り、行基の社会事業の核心にも観音菩薩(特に十一面観音)があり、良弁の弟子実忠が笠置山の洞窟の奥で目にした兜率天での行法をもとに二月堂で始めたというお水取りの法要も「十一面観音悔過法要」、「金光明四天王護国之寺」である東大寺は華厳宗の総本山であるが、華厳経には観音浄土である補陀落の記載がある。日本では、三十三身に姿を変えて衆生を救済するという観音菩薩に仮託して三十三観音霊場巡りや浅草観音初め観音菩薩を本尊とした仏閣も多い。  そしてこの観音菩薩の起源が「他方仏土」で、ゾロアスター教のアナーヒターではないかというのがこの稿の17号であった。また前稿18号で「日吉大社・岩滝−竹生島」の関係が愛川町・塩川滝−江の島」に投影されていることを指摘するとともに「竹生島にも大山・東丹沢、江の島にも足跡を残す空海が、大日経の妙音天=二臂弁才天の種を撒いた可能性に触れなかったが、密教史の前史としてありうることである。」と補足指摘。この弁才天が、バラモン教(ヒンズー教)のサラスヴァティであり、ゾロアスター教のアナーヒターと同一であるとの説があることを紹介した。  要するに、大乗仏教の観音菩薩及び観音菩薩に劣らず民間に受容された弁才天(弁財天)の二つの女神が、共に、ゾロアスター教の水と川の女神アナーヒターを起源とすると考えられたり、系譜につながり、あるいは古く「インド・アーリア共通時代」に遡り、同じ女神であった可能性が指摘されているのだ。この稿では、それを少し詳しく紹介する。

● 戦光背を擁するミスラの住するハラー山の最高峰フカルヤ峰からたぎり落ちるアナーヒター

 私は前稿18号で、バラモン教の聖典「リグヴェーダ」に現れる「サラスヴァティー河」が、アナーヒター同様「山から海に流れ出る」「諸川の中で・・きわだち優れる」川と表象されていることを紹介した。このサラスヴァティとアナーヒターについては、「神々の構造−印欧語族三区分イデオロギー」を著したジョルジュ・デュメジルが「・・サラスヴァティの称号は、式文としてはまとめられてはいないが、女神を清浄で、英雄的で、母的な存在として特徴づけているのは明らかである。私自身(1947)とロンメル(1953)は、イランにおいてサラスヴァティに対応する女神、インド・イラン人に共通の女神の後継者であるのは、(ゾロアスター教の)非ガーサー的『アヴェスター』に見られる諸女神のなかでも最も重要でやはり河川女神であるアナーヒターではないかと提唱した。アナーヒターの正式な名称は「湿潤な・強い・穢れなき」アルドゥヴィー・スーラー・アナーヒターという三重のもので、明らかに三機能を表している」と指摘した。  河川女神アナーヒターを擁するゾロアスター教という宗教は、歴史の教科書では、中国に足跡を残した?教として知られている。教祖ゾロアスターが啓示を受け創始したイラン(ペルシャ)の宗教である。ゾロアスター教徒の聖典「アヴェスター」の中でゾロアスター自身が作った讃歌「ガーサー」等から、ゾロアスターは「イラン人が石器時代から青銅器時代に移行した時期に彼が生きていたことを示す証拠があり、それから見ると、紀元前一四〇〇〜紀元前一二〇〇年の間」(ロンドン大学のゾロアスター教専門家故メアリー・ボイス)の人という考えがある。  彼は30歳の時、春の祭りの明方、ハオマ儀式に使う水を汲みに行った川辺で、光り輝く、あらゆる善なる神々の創造主アフラマズダーの啓示を得たという。そしてアフラ・マズダーの作った六柱の聖霊スプンタ・マンユと対立する邪悪で虚偽の神のアンラ・マンユとの戦い(善悪の混合)の時代を経て、善が勝利する(分離)時代を迎える。「この下界での被造物(人間)の苦しみは、対立霊によりもたらされた災害と見て、全能の創造主(アフラマズダ)のせいにしなかった」宗教の誕生であった。  このため人間に対して、善思、善語、善行を求め、死に臨んでは現世での道徳的審判が個々に行なわれ、アフラマズダのいる天国か、アンラ・マンユの支配する地獄のどちらに行くか、「チンワド橋」で天秤にかけられる世界を示す。そして善神と悪神との戦いが善神の勝利に帰した時、邪悪の痕跡は消えて、人間は不死者となり、地上の神の王国が出現して、永遠の喜びに満たされるという時空を超えた世界を示した。「これらの教義は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に採り入れられて、人類の宗教の多くにおいてなじみある項目となった。しかし、これらのことが、充分に論理的一貫性をもっているのは、ゾロアスター教においてだけである」とメアリー・ボイスは書いている。(「ゾロアスター教」講談社学術文庫山本由美子訳)  死に際して道徳的審判を受ける人の霊は「魂は死後三日間地上にとどまり、四日目の暁方に、昇る太陽の光に導かれて上昇し、チンワト橋でミスラと対面する」。ミスラはゾロアスター教の宇宙観で、高くそびえるハラー山(ハルブルズ、アルブルズ)にいて死後の判官として示され,アヴェスターの「ミフル・ヤシュト」で「広き牧地の主」「アーリアの民に平和なる快き住居を与える」存在としてアフラマズダと同等の地位を占める。ハラー山の頂上で日の出に先立って太陽の光輪を背に出現するイメージが伴い「金色に染まりし美しき頂に触れる最初のもの」「その頂から、アーリヤの民の住める地をあまねく見はるかす」と、アーリヤ人の天上の守護神といった風格である。昼は太陽を先導し、夜は西から東に移動しハラー山で日の出を待った。  そしてこのミスラの住するハラー山の最頂上フカルヤ峰から「たぎり落ちる」水、川がアナーヒターであった。このアナーヒターはウォルカシャ海に注ぐ。「アフラマズダーは、・・彼女(アナーヒター)を生み出せり、村を、郡を、国を繁栄させんがために」(アルドウィー・スール・第五ヤシュト)と記され、アフラマズダの娘でもあった。

● 東西二流の地下水脈がアナーヒター

 アフラマズダが創造した宇宙は、「ハルブルズ山は世界を取り囲んでおり、テーラグ山は世界の中心にある。太陽の回転は世界の回りの王冠のようである。(太陽は)清浄のうちにハルブルズ山の上をテーラグ山の周りを通って回転する」(ブンダヒシュン;野田恵剛「ブンダヒシュン(I)」中部大学国際関係学部論集,第4号)。ハルブルズは「ハラー山」のことで、王冠のような東西のハルブルズには180の窓があり、そこから時期を変えて太陽が出入りし、四季が生まれる。ハルブルズの外にはウォルカシャ海(フラークカルド海)があって、ハルブルズが取り巻く内側の大地は、ティシュタル=シリウス星の降らした大雨の結果形成され、中央洲とそれを取り囲む6州の計7州が存在する、と描かれる。「オフルマズド(アフラマズダ)はアフレマン(アンラマンユ)が侵入したとき(春分の日)、アルブルズ(ハルブルズ)の北方の『源泉』から二河を東西に流出させた。東流はウェフ(ワンフウィー)、西流はアラン(ランハー)で、そののち同じ水源から一八の河川が流れ出ていずれもアルブルズ(ハルブルズ)で『大地』の中に下り、中央洲で地表に出た・・」(「ペルシャ文化渡来考」伊藤義教)。「それはオフルマズダが庶類を利益するため」(伊藤義教)であった。このアフラマズダのアナーヒターが、二月堂で十一面観音への悔過法要で使用される若狭井で二つの井戸から湧き出す「遠敷(伊藤義教氏はアナーヒターに比定)」の水であった。  メアリー・ボイスによると、この水がハラー山(の最頂上フカルヤ峰)から流れ出す(伊藤義教氏によると「たぎり落ちる;滝のイメージ」)「ハラフワティ」であり、「・・ワータは吹きわたる風のことで、雨雲をもたらす神として崇拝された・・ワータは『(ハラフワティ)アルドゥウィー・スーラー』[『湿った』『強力な』を意味する修飾辞だけで呼ばれたが、のちに最後に『無垢』を意味するアナーヒターがつき、それが通称となった]と呼ばれる女神と結びついている」と、アヴェスター第五ヤシュト(アナーヒターのヤシュト)に現われるアナーヒターとアフラマズダが創造した世界観を説明している。  アフラマズダの宇宙において、アルブルズ(ハルブルズ)の頂上で太陽を先導するミスラとアフレマン(アンラマンユ)との闘争で春分の日にアルブルズ(ハルブルズ)の北方フカルヤ峰からたぎり落ちるハラフワティ(アナーヒター)は、大変重要な役割を担っていたのである。ダリウス1世以降、世界最古の「国家」の形態として注目されるアケメネス朝ペルシャは、ゾロアスター教を国教としたことで知られるが、特に、アルタクセルクセス二世は、スサにあるダリウス1世の墓所修復記念碑で、アフラマズダのほかミスラとアナーヒターの名を記し、ササン朝ペルシャ初代皇帝のアルダシールがアナーヒター神殿の神官出身でササン朝を通してアナーヒターが重視されたことも指摘されている。(「ゾロアスター教神々への讃歌」岡田明憲)  以上、イラン・ペルシャのゾロアスター教の宇宙観に占めるアナーヒター(ハラフワティ)の位置、イラン・ペルシャの国家における役割の大きさの一端を紹介した。  このゾロアスター教のアナーヒターが春分の日に、ハラー山の頂上から二つの川として流れ、地下水脈となって中央洲で地表に出て、アフラマズダが生きとし生けるものを育むために差配する−というのが、アナーヒターの水の物語の核心であった。そしてアナーヒターは、クシャン朝の時に、観音菩薩として、釈迦如来、弥勒菩薩を含めた三体仏の一つに採り入れられ、大乗仏教の枢要な役割を果たすようになり、8世紀の奈良で、東大寺初代別当良弁の弟子、実忠が二月堂で始めたお水取りで、十一面観音に供えた若狭から地下水脈で湧き出す二つの「遠敷」(伊藤義教氏によるアナーヒター)の水であった。

● インドのサラスヴァティも「東西二流」

 インドにおいては聖地は「山の奥にある」と指摘され、バラモン教・ヒンズー教における聖山と考えられたメール山(スメール山)、仏教的法界では須弥山が表象され、元々ヒマラヤ山脈の雪峰特にカイラス山が今日に至るまで神聖視されている。この山から流出するアナーヒターに相当する地下水脈は、大河ガンジス川と合流したり、インダス川と並行して流れる今は枯渇したサラスヴァティ川であった。  ヒンズー教の最大の聖地サンガムは、ガンジス川の中上流に位置するウッタル・プラーデーシュ州(ネパールと国境を画す)の都市イラーハーバードに位置する。ヤムナー川とガンジス川の合流点であるサンガムでは今年1月から3月にかけて、ヒンズー教最大の祭「クンブメーラ」が開催された。一帯は、インダス川流域から東進し、インド・アーリア人が住みつき十六国を置き、その中から生まれた釈迦と仏教の八大聖地がある「聖地の中の聖地」。ガンジス川沿いのヒンズー教の四大聖地もこの一帯にあり、イラーハーバードのサンガムは、その中でも最大の聖地で、今年は一億人近いサドゥや近隣の農民が集まり、沐浴したという。此処で地表に姿を現すとされているのがサラスヴァティ川である。ガンジス川とヤムナー川の合流点には、もう一つの地下水脈(河川)が合流しているとされ、それがサラスヴァティであり、そこがヒンズー教発祥の地になっている。

サラスヴァティ

 バラモン教(ヒンズー教)や仏教で、ヒマラヤ(メール山;スメール山、須弥山)から流れ出る(弁才天)が地下水脈として地上に現われる(ガンジス川とヤムナー川と合流する)場所は、ゾロアスター教でハラー山から流れ落ちたアナーヒターが中央州で地表に現れる姿と重なる。そして、この稿の第二部の初めで紹介した、私が住む愛川町を流れる中津川の川底に洞窟(地下水脈)があって、江の島の洞窟とつながっており、弁才天(サラスヴァティ)が地下洞窟(水脈)を歩いて愛川町までやってきて、地上に姿を現し、疲れを癒したのち、さらに中津川の地下洞窟を歩いて上流の塩川滝の上にある江の島の淵(水源)まで歩いたという伝説は、このクンブメーラが開催されるサンガムを想起させる。ガンジス川とヤムナー川というヒマラヤを水源とする二河は、大山・東丹沢を水源とする相模川と小鮎川であり、その中央を流れ厚木・海老名で相模川と小鮎川に合流(三川合流点)する中津川は、ガンジス川とヤムナー川と合流するサラスヴァティ川とぴったりと相応し、海に注いでいる。そして三川合流点には、国分寺、国分尼寺が建設され、国分寺・七重塔には弁才天(サラスヴァティ)記した金光明最勝王経が収められ、国分尼寺では観音経を含む法華経が唱えられていた。三川合流点は、ヒンズー教の聖地ではないが、相模の国の聖地であった。地下水脈伝説は、イランとインドと日本において、アナーヒター・二月堂の遠敷伝説、サラスヴァティ・中津川地下洞窟、そしてアナーヒター(ハラフワティ)とサラスヴァティが同一であるというインド・イラン共通時代まで遡る、アジアの不可思議な地下水脈伝説を形成しているのである。  そしてインドには、もう一つのサラスヴァテイ河がある。インドで、東に流れる大河ガンジス川に対してヒマラヤから西南に流れるインダス川と並行して流れ、かつてインダス文明に属する都市遺跡や集落が集中して発見されている「ガッガル・ハークラー川」(旧サラスヴァティ川)である。インダス川の東に拡がるチョリスターン砂漠、タール砂漠に痕跡を留め、かつては海に注いでいたと考えられているが今はタール砂漠で枯渇し地中に消えている。考古学的にはここを中心としてインダス文明終末期以降展開する彩文灰色土器文化が東方ガンジス川流域に展開することが、インド・アーリア人の東方進出と関連させて注目されている。この今は地下水脈として流れる川がかつて海に注ぐ大河であったかどうかは論争中であるが、上記した、サンガムで地表に流出しガンジス川とヤムナー川と合流し、また古くはインダス川と並行して流れていた(あるいは当時から地中を流れる水脈であった)サラスヴァティ川は、リグヴェーダに記されたバラモン教のブラフマー(梵天)の娘で妻であるメール山(スメール山)から流れるサラスヴァティであるが、私には春分の日にハラー山から東西に流れるウェフ(東流)とアラン(西流)とも称されたゾロアスター教のアフラマズダの娘であるアナーヒターに対応しているように思われる。このアナーヒターも、二月堂の「遠敷」で伊藤義教氏が考察したように、地下水脈でもあった。  以上で、イランの地下水脈とインドの地下水脈、日本の地下水脈についての、文字通り「アジアの源流」についての紹介を留めるが、仏教的世界観を介した、「インド・イラン系」の聖典(仏教も含む)に見る共通語について最後に触れる。

● インド・イラン系に共通する言語と宇宙観

 私の稿第二部では、法華経の普門品第二十五「観音経」や華厳経で南方海上の補陀落山に住する観音菩薩が、クシャン朝時代に著された大乗仏教で、ゾロアスター教のアナーヒターを起源とするとの考え方があることを紹介した。また金光明最勝王経や大日経の弁才天(八臂、二臂)が、インド社会のバラモン教(のちのヒンズー教)の河神サラスヴァテを出自とし、イランのゾロアスター教の「ハラフヴァティ・アルドヴィー・スーラ」と同一で、のちに「アルドヴィー・スーラ・アナーヒター」としてアケメネス朝ペルシャのアルタクセルクセス二世以来、アフラマズダ、ミスラとならぶ三神の一つとして祀られてきたことを紹介したのが本稿。それは、「水神」「河神」であることのほか、「ハラフヴァティ」と「サラスヴァティ」は、元々インド・イラン共通時代の言語が、「インド系」のサンスクリット語、「イラン系」のアヴェスタ語に分かれた音韻変化の理解によって、インド-イラン祖語時代のsはインドではsのまま残ったがイランのアヴェスター語などではhに変化したとされるため「サラスバティ」→「ハラフヴァティ」となったと解釈され、同一の「水神」「河神」であるとされているためである。この音韻変化は、ほかにもリグヴェーダの酩酊酒「ソーマ」がアヴェスタの「ホーマ(もしくはハオマ)」、リグヴェーダで悪神「アスラ」がアヴェスタで善神「アフラ(マズダ)」等の例がある。  インドのリグヴェーダは、このゾロアスター教の聖典アヴェスタの成立時期よりも早く成立したと考えられており、本稿に紹介したゾロアスター教の世界観(宇宙観)が、18号で紹介したインドのメール山(スメール山、仏教では須弥山)を中心とする九山八海の世界に相応すること、アナーヒター(サラスヴァティ)だけでなく、テーラグ山(メール山;スメール山、須弥山)、上記ハルブルズは、須弥山世界の最外部を囲む鉄囲山に相当していた。そして創造主アフラマズダ(アナーヒターの父)は、ブラフマー(サラスヴァティの父)、梵天(弁才天の父)そして大乗仏教の最後の姿では、大日如来(マハー・ヴァイロチャーナ:大毘盧遮那仏)に姿を変えて日本人やアジアの精神世界に君臨。相変わらず、太陽と星辰の下で、水や河に依存して、右往左往する人間の、宇宙観、世界観、自然観そして生き方の道標となっている。このユーラシア大陸のどこかで誕生した宗教は、天国と地獄、最終的救済者が出現する神の王国への期待など、仏教を含めた世界の宗教的法界の軸の一つとして存在しているが、現世での万能の救済者として活躍しているのが、上記した女神たちであった。しかし、この創造主を描いた人間社会は男性優位で、「地獄の沙汰も金次第」と言われるように人間のご都合主義がずっとついてまわってきた。  以上の、ゾロアスター教とバラモン教(のちのヒンズー教)そして仏教の世界観に入り込んだ宇宙の構造や神々(護法神)の相似は、実は「インド・イラン共通時代」という中央アジアからインドを支配した「アーリア人」が、北方から南方に移動し、先住民族を融合(侵略、支配、そして融合)してきたプロセスに伴うものと考えられる。インドでは、サンスクリット語でリグヴェーダを残し、デュメジルの提唱した三区分体系で先住民族を差別する支配的ヒエラルヒー(のちのカースト制度)を形成し、中央アジアからイランにかけては、先住の「アーリア人」(インド系イラン人)と系統を異にする(敵対する)イラン系アーリア人による天地創造の倫理的世界観(善悪二元論)の社会を形成したのである。この中央アジアから南下した民族の一派は、共に遊牧的特徴を示し、その遊牧的特徴は、アヴェスターにもリグヴェーダにも顕著で、馬車に乗ったり、誘導される太陽に象徴されている。ヒマラヤからヒンズークシ山脈を越えた騎馬民族がいたのである。  この稿は、地下水脈伝説を通して、アジアと日本をつなぐ絆について考えるのが趣旨であるが、これまでに触れていない地下水脈形成の謎にこそ、アジア史形成の謎が潜んでいると私は考えている。

その8に続く

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