地域振興ビジネスの提唱 ―テストケース:高知県桂浜の場合―

棚野正士備忘録

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 わたくしは数年前、高知新聞に「知的財産立県の提唱」という雑文を書いた。(2009年1月16日付け高知新聞「所管雑感」)
 趣旨はこうである。

 “今、知的財産の確立と活用が日本の国家戦略である。
 2002年の「知的財産戦略大網」は知的財産立国の実現を提示。これを受け、翌年には知的財産基本法が施行されるとともに、知的財産戦略本部(本部長は内閣総理大臣、本部員は各国務大臣)が設置された。さらに2004年からは毎年「知的財産推進計画」が同戦略本部から発表されている。
 つまり、日本の国家戦略は2002年から大きく転換。多くの分野で知的財産が時代のキーワードになっている。
 知的財産とは、発明や考案のほか意匠、著作物といったイメージが一般的には強い。しかしそれ以外にもマンガや音楽、アニメ、映画などのコンテンツ、ブランド、ファッション、食、花や農作物の新品種、工業デザイン、伝統文化などが含まれる。
 私は国の知的財産立国を受けて、高知県で「知的財産立県」の構想を提唱したい。なぜなら、高知の“知”は知的財産の“知”であり、高知県には豊かな風土と歴史、文化があるからである。
 2008年10月、土佐高31回生の同窓会があり、前夜祭が桂浜で開かれた。桂浜は高知県人にとって、心のふるさとである。南国の太陽と海があり、美しい砂浜があり、太平洋を望む本山白雲制作の坂本龍馬像がある。さらには桂浜水族館や坂本龍馬記念館と、まさに知的財産の宝庫である。
 たまたま友人の関係を通じて、地元婦人会の方々に新鮮な魚を使った手作り料理でもてなしていただいた。婦人会で結成した「花子一座」の出し物も楽しかった。
 人をもてなそうとする地元のご婦人たち。その温かい心遣いに涙しながら、「知的財産立県」は桂浜を核にして、県全体に広がっていくのが自然ではないかと考えた。
 そのため、町の形を変える必要もある。桂浜から高知駅に抜ける南北ルートを今後の観光戦略の基本軸にすることもよいのではないか。途中には、抜群の知名度を持つ播磨屋橋(現在のコンクリート製の橋は何とかならないものか?)もあり、播磨屋橋を起点に南北、東西の観光ルートが出来ると観光戦略が立体化する。
 知的財産は人間の創造的活動、つまり頭脳から生まれる。高知の“知”を知的財産の“知”とするためには、高知県が日本の頭脳センターにならなければならない。さらに、知的財産は心の作用でもあることを考えると、高知県を日本のハートセンターにするという発想も必要でないかと考える。“

 民謡よさこい節には、次のフレーズがある。
“御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸を明けて 月の名所は桂浜 ヨサコイヨサコイ”

 桂浜は高知県民が幼い頃から馴染んできた心のふるさとである。そこには太陽の光があり、太平洋の波があり、本山白雲の龍馬像があり、県立坂本龍馬記念館がある。坂本龍馬は土佐が生んだ世界的な人間遺産である。
 しかし、高知へ行くとどこに行っても”龍馬、龍馬“である。
 高知空港も「高知龍馬空港」であり、陸路列車で高知駅に降りると、駅前には坂本龍馬の張りぼてがある。桂浜の本山白雲の龍馬像は浜辺の山の上に建てられ、龍馬が光を浴びながらすくっと立って、はるか彼方の太平洋の先の外国を睨んでいる感動的な作品であり、観る者の心を揺さぶる。
 この芸術作品に対して、高知駅前の龍馬像は単なる張りぼてである。
 張りぼてに迎えられて市内に入ると、どこに行っても龍馬、りょうま、リョウマである。龍馬以外にないかのようなこの現象に高知の「非文化性」が感じられる。
 坂本龍馬も嘆いているであろうこの現象を抜け出すにはどうすればよいか。
 それで浮かんだのは、龍馬から離れるのではなく、むしろ徹底的に龍馬を活用して、世界に例を見ないその歴史的活動に焦点を当てて、ユネスコの無形文化遺産に結び付けることはできないだろうかという夢想的発想である。世界遺産ではなく無形文化遺産である。
 しかし、2003年ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」を見ても“ひと”あるいは“その活動”を無形文化遺産する趣旨は読み取れない。
 そこで、桂浜の自然、本山白雲の傑作である龍馬像、県立坂本龍馬資料館などを複合的に捉えて、民謡に詠われ、詩人大町桂月とも縁の深い月の名所桂浜を無形文化遺産にすることは夢想的すぎるだろうか。

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