惜別:著作権実務界の至宝・原田文夫さんの死去
棚野正士備忘録
IT企業法務研究所代表主任研究員 棚野正士
今年・2007年8月20日、著作権実務界の至宝ともいえる原田文夫さんが亡くなった。享年76歳であった。
原田さんは昭和25年にNHKに入られ、一貫して著作権業務に関わられて現行著作権制度の創設に貢献され、法成立と共に著作権団体、著作隣接権団体との諸契約を整備され著作権制度に関わる秩序形成に尽くされた。NHK退任後は、日本複写権センター設立準備のため、日本書籍出版協会を支点に活躍され、著作権団体、学会団体と共に著作物、出版物の複写利用に対する管理システム構築に尽力され、日本複写権センター設立と共に初代事務局長に就任。事務局長として、著作物の複写利用者である企業、団体、官公庁との複写利用許諾契約の締結に努力された。又、世界複写権機構(IFRRO)の正会員としての加入に努力され、国際的役割も果たされた。
又、原田さんは(社)著作権情報センター(CRIC)には、その前身の(社)著作権資料協会の時から多大の貢献をされている。著作権資料協会の当時はNHK代表の運営委員として運営にかかわり、著作権情報センターになってからは、「著作権相談室」の相談員として、活躍された。著作権資料協会主催の各種研修会やセミナーでは、出席者からの質問を一手に引き受けて、どんな質問でも快刀乱麻を断つ如く回答していた姿が目に新しいし、著作権情報センターでは著作権相談員としてどんな難しい電話相談にも鮮やかに答えていた。CRICの事務所を訪問すると、いつも相談室から原田さんが電話で回答する良く通る大きな声が聞こえてきた。
原田さんは研究者としても多くの著書、論文、記事を残されている。著作権情報センター資料室のデータを検索すると、研究者としていかに多くの業績を残されているかが分かる。著作権資料協会、著作権情報センター発行図書への執筆、翻訳、監修、「コピライト」等への執筆等大切な多くの足跡を残されており、原田さんが書かれた文献は後世の著作権人に役立つと思われる。
実務家あるいは研究者としての原田さんへの評価は国内だけでなく国際的にも高く、WIPOからの信頼も高く、WIPO主催の世界各地域でのセミナーにはしばしばWIPO側の講師として派遣された。
原田さんの死去について、著作権情報センター発行「コピライト」2007年10月号で、射場俊郎編集長が“編集後記”に追悼の名文を書いておられるのでお読み頂きたい。なお、本稿については、原田さんとは長年“著作権のための戦友”であった山下邦夫さんからも話を伺った。原田さんの死去を悼む多くの戦友の方々と共に著作権実務界の至宝・原田文夫さんを偲びたい。
コメントを投稿する
※コメントは管理者による承認後に掲載されます。